豊臣秀吉がなぜバテレン禁止令を発布したか。ポルトガル人とイエズス会の日本人奴隷売買

歴史的に、キリシタン迫害について、狭量な日本の政府側により不当な迫害というイメージで語られることがなぜか多い。が、それには相当の理由があると考えるべきである。

徳富猪一郎『日本近世国民史 豊臣氏時代 乙 第五篇』
379-388頁に、そのいきさつが書かれており、裏付けもある。

豊臣秀吉は当初、キリスト教には寛容であり、宣教も認め、手厚くもてなしていた。が、九州における、教会の宣教師とポルトガルの商人とが、結託し、民衆を 強制的にキリスト教化し、仏寺を破壊、僧侶に対する横暴を繰り返した。さらに、農耕に重要な役割を持つ牛を貪り、さらに、日本の諸侯に借金を負わせて、民 を奴隷として売買していた。そういうことを見聞きし、国家統一の脅威を感じた豊臣は、バテレン禁止例を発布し、キリシタンを迫害したということだ。
この歴史を見ると、国家の将軍として、国民を守ろうとした豊臣秀吉の勇敢な行為に、拍手を送りたい気持ちである。